何をやってもうまくいかない。
甘い夢ならたくさんみる。
欲望だらけの甘美な夢。
それを現実に変えられることもなく、でもその夢を希望と勝手に置き換えて
妄想とともに現実から徐々に離れていく。
好きと嫌いを考えて生きているのか。
例えば、
宝くじが当たったかのように。
一流のプレーヤーになれたかのように。
ほんの一握りの、握ることもできないようなことをたやすくも思い描いてしまう。
なぜ、
人は現時点の哀れみや憎しみといった人間の持つ感情を内に秘めるのだろう。
欲が満たされた時になって公表、知らせるのだろうか。
サークル内で言う「あの時の苦労があったから、
頑張りや踏ん張りがあったからこそ、今がある」。
逆の言い方にあるのは理想をあおるサークルだ。「今、頑張れば欲望が叶う」というのだ。
哀れみや憎しみといった負の遺産をなぜ、分解析しないのだろうか。
ただ、この欲塊がなくなる方法が一つだけある。
我が子を見つめることだ。
なんの屈託のない笑顔、他愛のないことで力なき感情を発揮する行動。
小さなユニットだが、自身にとってはとてつもなく大きなものなのだ。
以前、友人のスピーチで話したことがある。
結局、一番大事なのは家族という小さなユニットだということを。
詩人・島田陽子さんの詩にこんな言葉がある。
「滝は滝になりたくてなったのではない
落ちなければならないことなど
崖っぷちに来るまで知らなかったのだ
まっさかさまに
落ちて落ちて落ちて
たたきつけられた奈落に
思いがけない平安が待っていた
新しい旅も用意されていた
岩を縫って川は再び走りはじめる」と。
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好きと嫌いを繰り返して人の一生は終わるのだろう・・・
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