悩み多き年頃

今年で42歳になる。

厄年である。

既婚者である。

子どもが4人いる。

カメラマンをしているが仕事がめっきり無い。

毎日が退屈である。


ならば、この年齢で就活!? 身を引き締める!? 

どのように一般水準まで生活レベル&能力を引き上げられるか、

試行錯誤の真っ直中より傾き気味。


ネットビジネス寄付金募るなどにもチャレンジ・・・。

ちょっとした上手い話を聞いたら、参考にして見真似する始末。

結果はもちろん・・・。



何をするにも中途半端は昔から。

また努力が結果に結びつかないのも昔から。



いつまで経っても現実離れした考えを追っている。

カタチになるはずもない現実離れした考えを。




明るい希望や自分なりの考えというのが、


カタチになったり、現実になることは到底ない。


理想や夢は高くないが、つねに負のスパイラルを回っている。


ほんの小さな幸せは、自分にとって幸せと感じなかったり、


次のステップというのが見つからない。







日本レベルの幸せか、後進国レベルでの広い幸せのどちらを見れば良いのか。


寝ることが唯一の幸せなのか。



夫婦間の込み入ったことはなくなり、何も知らない子どもとのじゃれ合いだけを


楽しみにして。





自分の仕事もお金もなく、何をやっても裏目にでて、感情的になると、

それが家族に飛び火して個人から一家になって重い負の暗闇の世界になってしまう。



汚ねえ水たまりには、汚ねえものしか写らない。そう俺がそれなのさ




こんな時にいつも思い出す詩がある。



中原中也の「山羊の歌」だ。




汚れっちまった悲しみに


今日も小雪の降りかかる


汚れっちまった悲しみに


今日も風さえ吹きすぎる




汚れっちまった悲しみは


たとえば狐の革裘(かわごろも)


汚れっちまった悲しみは


小雪のかかってちぢこまる




汚れっちまった悲しみは


なにのぞむなくねがうなく


汚れっちまった悲しみは


懈怠(けだい)のうちに死を夢ゆめむ




汚れっちまった悲しみに


いたいたしくも怖気(おじけ)づき


汚れっちまった悲しみに


なすところもなく日は暮れる・・・




1つ上手くいけば! とはいつも思うもの。

歯車を回転するきっかけやタイミングがわかるだけでも幸せなのだろう。



果たして稼げる時って人生の中で必ずくるものなのだろうか。


まったく来ないで全うする人だっているならば

「今、稼げるチャンス!」っていうフレーズは間違っている。




結局、


フリーランスで、もがいていた期間ってただ借金を作っていただけ



なんだなって。

今さら、何をしろっていうんだ。

稼げなくても幸せを感じていることが人生にとっては最良なのだろう。

その幸福感の幅は宇宙よりも広いのだろう。これもまた、別の角度からの夢だけど。



温かく見守ることなんてできねえよ。わんぱくな後姿を見ると、

自分の愚かさに悲しくて泣けてくるよ






■□■最後までお読みくださいましてありがとうございます□■□



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